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福岡地方裁判所 昭和48年(行ク)14号 決定 1976年4月22日

申請人 孫振斗

右訴訟代理人弁護士 久保田康史

同 福地祐一

同 山下勝彦

被申請人 福岡入国管理事務所

主任審査官 川崎時忠

右指定代理人 伴喬之輔

<ほか五名>

主文

一  被申請人の申請人に対する昭和四六年一月一六日付退去強制令書に基づく執行は、送還の部分に限り、本案(当庁昭和四八年(行ウ)第三七号退去強制令書発付処分無効確認請求事件)判決の確定に至るまで、これを停止する。

二  本件申請のその余の部分は却下する。

三  申請費用は三分し、その一を申請人の、その二を被申請人の負担とする。

理由

一  申請の趣旨及び理由の要旨

申請人代理人らは、「一被申請人の申請人に対する昭和四六年一月一六日付退去強制令書に基づく執行は、本案(当庁昭和四八年(行ウ)第三七号退去強制令書発付処分無効確認請求事件)判決の確定に至るまで停止する。二申請費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、その理由として、次のとおり述べた。

(一)  申請人の経歴

1  申請人は、昭和二年三月一五日、大阪市東淀川区本圧川崎町五丁目一番地で生まれ、同二〇年八月六日、広島市内で被爆し、同二六年七月、外国人登録をしていなかったという理由で韓国へ強制送還されたが、再び日本に入国し、その後同二八年、同四四年と二度にわたって韓国へ強制送還された。

2  その後、再び昭和四五年一二月三日、原爆症治療の目的で日本に赴いたところ、佐賀県呼子町近郊の海上で不法入国の疑いにより逮捕され、同四六年一月三〇日、佐賀地方裁判所唐津支部で出入国管理令(以下「令」という。)違反で懲役一〇月の判決(その後控訴審を経て確定した。)をうけ、同年六月二五日、福岡刑務所に収監された。

3  右収監後、申請人は結核の病状が悪化し、ガンの疑いも生じたため、昭和四六年八月一二日刑の執行停止をうけるとともに、結核予防法に基づく命令入所の措置により福岡県粕屋郡古賀町の国立福岡東病院に入院したところ、新たに、白血球減少の症状が出てきたため、同四八年一月、広島市の原爆病院に入院した。そして、その後、白血球減少症がやや好転したとの診断により、広島刑務所に収監されて残りの刑期について刑の執行をうけ、同年八月二五日その執行をうけ終って出所した。

(二)  退去強制令書の発付に至る経緯

1  申請人は、出入国管理令違反で起訴された後も唐津警察署に勾留されていたところ、昭和四六年一月、同署で、入国審査官橋本清から申請人が令二四条一号に該当する旨の認定をうけたため、直ちに、口頭審査の請求をなした。

2  申請人は、昭和四六年一月一一日、右警察署で、特別審査官宮原藤彦に対し、被爆した経緯や入国目的等を訴え、在留を認めるよう懇願したところ、これを拒否されたため、同審査官に法務大臣に対する異議の申出をなす旨を伝えた。ところが、同審査官は声を荒だてて申請人を威嚇したうえ、大韓民国領事および居留民団々長の二名とともに申請人に帰国を強要したため、申請人は右異議の申出の機会を失った。

3  その後、申請人は、まず昭和四六年八月一二日、福岡東病院で、福岡入国管理事務所係官から何らの説明もなく、西洋紙半分大の印刷物の右肩欄外に「孫振斗」と署名するよう求められ、次いで同年九月三日、同病院で、福岡入国管理事務所の西原係官から右書類の上の部分に「孫振鴻」と署名するよう求められたが、いずれも同四四年に横浜入国管理事務所から退去強制令書を発付された際の退去強制に関する書類と信じて署名したところ、その後、申請人は、同人の身元引受人を通じて、被申請人が申請人に対し、同四六年一月一六日付で退去強制令書(以下「令書」という。)発付の処分(以下「本件処分」という。)をなし、同年九月三日に申請人に右令書を呈示した旨述べていることを聞いた。

(三)  本件処分の無効の理由

1  本件処分は申請人への告知がなく、無効である。

行政処分がその効力を生じるためにはその処分の相手方に対する告知が不可欠であるところ、本件処分の告知は申請人に対しなされていない。

2  本件処分は憲法三一条に違反し無効である。

憲法三一条は行政手続においてもその適用ないし準用があり、また、法務大臣に対する異議の申出は令五〇条の所謂特別在留許可の制度に深く関連するところ、特別審査官宮原藤彦が申請人に威嚇および強要を加えて右異議の申出を放棄させたことは、憲法三一条に違反し、本件処分を無効ならしめるものである。

3  申請人は、所謂日韓併合および被爆の犠牲者であって、同人を韓国に送還することは同人に死を迫るものである。しかも、申請人は、日本の敗戦により国籍を失ったとされているが、このような国籍喪失については何の根拠もなく、昭和二六年七月の同人の強制送還は、日本国籍を有する同人を外国人として国外追放した点において重大な違法があるうえ、もし、仮に右送還がなければ、同人は法律一二六号二条六項に該当するものであるから、日本に永住が認められていたのである。従って、右事情に照らせば、本件処分は令二四条の裁量の判断を誤り、その瑕疵は重大かつ明白であって無効である。

(四)  申請人は、昭和四八年五月一五日、当裁判所に本件処分の無効確認を求める訴えを提起したが、右本案訴訟の判決の確定をまっていたのでは、本件処分により回復の困難な損害を生じ、かつ、これを避けるため緊急の必要がある。

即ち、申請人は、同月二日、広島市の原爆病院を退院したが、しかし、肺結核症は治癒したものではなく通院、投薬治療が必要であるうえ、白血球減少症についても継続的検査が必要であるところ、韓国においては、被爆者の医療および生活を保障する体制は全く整っておらず、また、申請人も韓国では安定した生活を得る見通は全くない。従って、本件処分執行は、申請人の右事情を考えると、同人の健康、生命に与える影響は甚大であるといわねばならず、本件処分の執行により生ずる回復の困難な損害を避けるため、緊急の必要があるというべきである。

(五)  よって、本案訴訟の判決の確定に至るまで、本件処分の執行の停止を求める。

二  被申請人の意見の要旨

被申請人代理人らは、「一申請人の本件申請を却下する。二申請費用は申請人の負担とする。」との裁判を求め、その理由として、次のとおり述べた。

1  本件処分により生ずる回復困難な損害を避けるため緊急の必要があるとはいえない。

即ち、申請人は、本邦に不法入国したものであり、その後は出入国管理令違反による刑の執行を受けるために本邦に在留したに過ぎず、本邦における正常な社会生活は全く営んでおらず、同人の妹、妻及び長男が韓国に居住していることからしても、送還によって失うべき生活がそもそも本邦にはないといわねばならない。仮に、何等かの必要性が認められるとしても、大村入国者収容所長は、申請人に対し、昭和五一年一月三一日、肺結核治療を理由として、仮放免期間一か月の条件を付して仮放免をした。従って、少なくとも本件処分のうち収容部分については、回復困難な損害が生ずるものでないことは明らかである。

2  本件処分は適法であって、本案の請求について理由がないことが明らかである。

即ち、申請人は、本案における本件処分の無効確認の訴えの理由として、大略以下の四点、即ち「(1)本件処分は、申請人に告知されていないから無効である。(2)被申請人のなした本件処分が裁量行為であることを前提にして、本件処分は裁量の判断を誤ったものであるから、その瑕疵は重大かつ明白である。(3)仮に、右処分につき裁量の余地がないとすれば、令三条、二四条一号、四八条八項は、申請人に適用される限度において憲法一三条に違反し無効である。(4)申請人の法務大臣に対する異議申出がなされなかったのは、特別審査官の強要の結果によるものであるから、当然無効である。」旨主張するが、右(1)(4)の各点は、事実無根の主張であり、右(2)(3)の各点は、令の解釈を誤ったものといわざるを得ない。

3  本件処分のうち収容部分の執行を停止することは、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。

即ち、在留資格を有しない不法入国者である申請人に対し、収容部分の執行停止により事実上本邦における在留活動を許容し、令の規制を受けることなく本邦に在留することを認める結果となることは、令の規定する在留資格制度を甚だしく紊乱し公共の福祉に重大な影響を及ぼすのみならず、その結果は、在留資格附与と同様の効果、換言すれば、積極的な行政処分によって生ずると同様な効果を仮に生ぜしめるような内容の処分をなす結果となり、行訴法四四条の趣旨にももとることになる。

4  よって、本件申請は却下されるべきである。

三  当裁判所の判断

1  本件各疎明資料によれば、申請人(昭和二年三月一五日生)は、韓国国籍を有する外国人であるところ、昭和四五年一二月三日本邦に不法入国し、そのために同四六年一月一六日、令二四条一項に該当するとして被申請人から本件処分を受けたことを認めることができ、その後、申請人は同四八年八月二五日から大村入国者収容所に収容されていたところ、同五一年一月三一日右収容所長に対し、肺結核の治療を理由として令五四条一項に基づく仮放免の請求をなし、同日付で仮放免期間一か月の条件付で仮放免され、以後一か月毎に更新されていることは、当裁判所に顕著な事実である。また、申請人が、本件処分を違法として右処分の無効確認請求訴訟を提起していることは本件記録上明らかである。

右事実によれば、申請人に対し、本案判決の確定をまたずに、本件処分に基づく送還処分の執行がなされてしまうならば、申請人は、本案訴訟追行の目的を失い、また、たとえ右訴訟で勝訴判決を得ても、右裁判の利益を事実上享受することができず、従って、回復の困難な損害を蒙ることは明らかであり、かつ、その損害を避けるため緊急の必要があるというべきである。

2  申請人は拘禁生活が同人の健康、生命に与える影響を理由に、本件処分のうち収容部分の執行停止をも求めている。

しかし、前記認定のとおり、申請人は、肺結核の治療を理由に理在仮放免の許可を受けており、右仮放免の許可は、これを相当とする理由の存続する限り更新、継続されることが予測されるのであるから、申請人の健康、生命についてはしかるべき配慮がなされうる状態にあるものというべく、他に申請人の収容を停止しなければならない特別の事由の存在は認められない。従って、本件処分のうち収容部分の執行を停止すべき緊急の必要性があるということはできず、右収容部分の執行停止の申請は理由がない。

3  被申請人は、本件申請は、本案につき理由がないことが明らかであると主張する。

しかし、申請人の主張する前記大略四点の無効理由のいずれをも理由がないとすることは、本件全疎明資料によるもにわかに断じ難く、結局、本案の理由の有無は、今後の審理をまって決するよりほかないものというべきである。

四  結論

以上の次第であるから、申請人の本件申請は、本件処分のうち、送還部分につき本案判決が確定するまでこれを停止することを求める限度において理由があるから、これを認容し、その余は失当であるから、これを却下することとし、申請費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条、九二条本文を各適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 南新吾 裁判官 小川良昭 萱嶋正之)

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